見捨てられ不安と完璧主義からの脱却
以前に公開したメルマガ
「見捨てられ不安、完璧主義からの脱却方法」
には沢山の感想やご意見を頂きました。
(メルマガ限定でしたので ブログにはUPしてません)
頂いたメールの中の一通を皆さんにご紹介します。
今日のメルマガは刺さりました。
確かに両親は私をちゃんと育ててくれました。
ご飯も衣類も用意してくれてたし
お風呂も入ることが出来たし
お菓子だって食べることが出来た。
(中略)
でも私が怒ったり、泣いたりしていると
いつも何があったのか聞くのではなく
「うるさい!お前はキチガイか!」
「キチガイの子はいらん!」と
言われてました。
(中略)
私は自分が感情的になると、気が
おかしくなるのではないかという
恐怖心に駆られていたのですが、
きっとキチガイになって私は
最後は見捨てられるのだと思っている。
だから私は嫌なことがあってもニヤニヤ
するようになりました。自分の心と体が
バラバラでいつも自分が分かりません。
ダメンズにハマってしまうのも
ここに理由があるように思いました。
Yさん掲載のご快諾をありがとうございます。
胸に刺さるようなメールでした。
本当に辛かった幼少時代だと思います。
Yさんのように、ある面では大切にされていたけど
別の面では非常に冷たく、見捨てられている感じがする
と言う方は多いかもしれません。
愛される存在でいるために、
相手に合わせることをYさんは学んだのですね。
自分の感情を押さえ込み
他人のニーズを優先することで
見捨てられる恐ろしさから
自分の身を守ることができたのです。
こうして幼い頃に自分を守るために
自分の感情は無視し
他人に合わせるということをやっていると、
大人になっても、それを続けてしまうのですね。
感情を感じると「キチガイ扱い」されたことからも
Yさんは自分の感情を感ることが
とても苦手ではないでしょうか。
自己評価が低いと…
自分の感情をないがしろにするわけですから
当然、自己肯定感や自己価値が低くなります。
そして自己評価が低ければ低いほど
自己評価を叩きのめされる
ような人を近づけてしまうのです。
一般的に自己評価が低いと、
少しでも優しい言葉や
優しい態度を見せられると
一気に親密になり、いきなり性的な関係になりやすい
関係が「深い」か「切る」か
中庸というのが無いんですね。
適度な距離をとるのが下手で
むやみやたらに、相手を理想化してしまうパターンがあるんですね。
あ、それも自己評価が低いからなんですが。
そして好きになった人には
何もかも一体化しないと不安になり
彼の望みを察知しては無意識に
尽くしすぎてしまうため
どうしても相手を優位に立たせてしまいます。
自分を犠牲にして他人を助けることに必死になると、見返りを求めるようになる
いつの間にか
自分を犠牲にしてまで
他人の世話を焼いてしまったり
助けることに必死になっていると
”ある衝動”が起こってきます。
それは…
「見返りが欲しい!!!」
それは、
「ありがとう」や
「すごいわね」や
「あなたがいないとダメなのよ」という言葉。
つまり
相手に感謝されたい
必要とされたい
大切な存在と思われたい。
まさにその言葉で
自分の低い自己価値や
低い自尊心を
埋めようとしてしまうんですね。
ところが、悲しいかな
自尊心が埋まるかどうかは
”相手次第”
なんですよね。
また、自分の思ったように思ったレベルで
思ったタイミングで
相手からの言葉がもらえるか
なんて、わからないのです。
だから
いくらその行動をやっても、やっても
埋まらないのです。
もうそろそろ
相手の感謝や承認を求める
そのパターンからは卒業しましょうね。
そもそもの原因は自己評価の低さ
そもそも相手に尽くすことで自尊心を埋めようとしている人は、
親から与えられるはずの愛や承認を
他の誰かで埋めようとしているのです。
でもね、他の誰かでは埋まらないのです。
仮に誰かに埋めてもらっていても
その人が居なくなることを思っただけで、恐怖じゃないですか?
しがみつきはここから発生します。
もう他の誰かに埋めてもらうことは、やめにしませんか?
自分を傷つけたり
感情のアップダウンの激しい、
ジェットコースター人生からは卒業しましょう。
あなたが自分のありのままの姿を
本当に認めたときに
他の誰かの承認を求め続けなくてもよくなるのです。
他人から認めてもらいたい、愛してもらいたい。
そう思うのであれば
まずは自分が自分を認めてあげる。
愛してあげる。
これが一番大事なんです。