湯川です。
先日、湯川家のお墓を新しくしたため、お性根入れ(魂入れ)が行われました。
澄み渡る青空のもと、梅の香りもそこはかとなく漂ってくる中、無事にお性根入れの法要を済ませることができました。
いや~、あの世で義父も喜んでいるだろうなあ~。

「皆さんは我慢ばかりしていませんか?」

法要の際、和尚様から上記の言葉が投げかけられました。「皆さんは我慢ばかりしていませんか?」と。
そのあとに続いた説明に深く納得したので、皆様にもシェアさせていただきますね。
一般的に「我慢」していると言えば、「自分を押さえて耐える」というような意味合いで使われていると思います。
例えば湯川が「ビールを飲むのを我慢しているんです!しかも1か月も!」なんて言うと「ほお!それはスゴイことですね」てな具合で褒められるようなニュアンスなんですよね(笑)
そもそもこの「我慢」って言葉。語源は仏教用語なんですって!
仏教用語の「我慢」の意味って、このように記載されています。

我慢(がまん)とは、仏教の煩悩の一つ。
強い自己意識から起こす慢心のこと。
四慢(増上・卑下・我・邪)の1つ、
また七慢(慢・過・慢過・我・増上・卑劣・邪)の1つ。
仏教では人間を固定的な実体として捉え、
自己に執着(しゅうじゃく)することを我執(がしゅう)といい、
その我執から、自分を高く見て他人を軽視する心をいった。

ウィキペディアより転載。

和尚様曰く、「自分にうぬぼれ、他人を下に見たり軽んじている状態」が我慢、なんだそうな!
漢字の成り立ちを見ても「我に慢心する」という言葉ですものねえ。通常の使い方とは全く違うでしょ!
 

日常に当てはめると

例えば「本当は言いたいことがあったけど、ここは夫の手前、我慢しておこう」
この言葉に、先ほどの仏教用語の意味合いを当てはめてみるとこうなります。
 
「本当は言いたいことがあったけど、ここは夫の手前、我慢してやるわよ」
 
いやもう、文末全然違うやん!って感じでしょ(笑)
こんなに意味が変わってくるんですね~。
つまり「我慢する」というのは、「我慢してやってる」というように、自分を上にあげて、他人を下に見下した状態のことなんですね。
 

これが積み重なると・・・・・・

ろくなことにならないことは、みなさんもよーくお分かりですね。
つまり、私がここまで我慢してやってるのに、あなたときたら!と言うように、貸し借りや損得感情になってしまうわけです。
「ワタシだけ損したみたい!」
こう思う時は、おそらく「我慢」になっているんでしょうね。
我慢は誰も得をしません。
 
我慢するなら自分の思っていることを、相手に誠実に伝えることのほうが、ずっと精神衛生上いいです。
でも自分がそれを言えないから「我慢してやっている」というのは、勇気を出さずに、責任転嫁した傲慢以外の何物でもないということ。
嫌なら相手に伝える必要があるわけです。その上で折り合っていくことです。伝える努力をする、ということ。
それをやらずに一方的に自分だけが「損している」と思うのは、全くの見当違い。
 

それは思い違いかも

ちなみに「我慢」に似た言葉として「忍耐」があります。

忍耐とは、苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこと。
例えば、自分に不都合なことなどを
ひとにされても、暴力的な仕返しをしたり、
現実逃避したりしないなど。
忍耐する力を「忍耐力」、忍耐力があることを「忍耐強い」と言う。
忍耐は、四元徳のひとつとされている。

ウィキペディアより転載。

「我慢」と「忍耐」似ていますが、中身は全く違いますね。正反対の意味です!
「忍耐」は「徳」の一つとしてもカウントされているものなのですね。
今自分がやっていることは「我慢」なのか「忍耐」なのか、それをよく見極めることが大事ですね。
傲慢になっているのか、耐え忍んでいるのか、その違いは天と地ほどもあります。
 
 
湯川 央恵
 

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