脅してでも欲しいものを手にいれる心理

先日セッションした4人、全員テーマが同じで驚きました。
「脅してでも欲しい物を手に入れる」という(笑)
 
例えば分かりやすく言うと
「私のことをちゃんと捕まえておかないと、どっかへ行くよ!」
「知らないよー!」
「別れちゃうよー!」
「私が居ないと大変になるよー!」
「あなた後悔するわよー!」てな感じと言えばいいでしょうか。(笑)
 
本当は別れるつもりも無いのに、そういうことを「取引」で醸し出す訳ですね。
態度でしっかり「脅す」わけですね〜。
 
ほとんどの相手は有無を言わせないその態度に、圧倒されるのですが、気骨のある男性ほど、それに果敢に向かってくれます。こちらのその手には乗らない訳です。
 
本当はそれは素晴らしいことなのですが、本人にすれば「なんでやねん!黙って言う事きかんかい!」となる訳です。(笑)
なぜならば、これまでその方法で、間違いなく欲しい物が手に入っていたから。
だから言うこと聞いてくれないと一層脅したくなるのです。
 

「脅す」に隠れた本心

でもね脅すってことは、本気で言ってるワケではないってこと。
「脅す」とは相手の恐怖心を利用して欲しい物を手に入れるってことですから。
例えば
「いつでも別れてもいいのよ」と、相手の恐怖心を利用しているとどうなるか?
 
人間関係は見事に鏡ですから、こちらが恐怖を利用して脅す自分がいるならば、当然相手からも同じように
「脅され」たり「利用される」ということが起こるわけです。
 
つまり相手を変える前に、自分のその「脅して欲しい物を手に入れる」「恐怖心を利用する」という方法を変えない限りは、相手は変わりません。
 
鏡に映った相手の姿を変えたければ、本体である自分の姿を変えるしか方法は無いのです。

脅してでも欲しいものを手にいれる人の共通点

さらに言うと、、、
これまで自分の思った通りに手に入っていた事も、自分の力だと過信していた所があったはず。
そう「脅してでも欲しい物を手に入れる」方の共通点が「優秀で結果を残して来た方」。これがホント多いのです。
 
心の中で他人と自分を常に比べて、密かに優秀さを自分は感じて来たはずなんですね。
もちろんそんなことは口にも出しませんが、心の中でどこか感じていたハズなのです。
 
それが人との間で「勝ち負け」「上下関係」にこだわってしまうところで出ていると思います。
 
で、本題に戻すと、その優秀さはもちろん本人の努力もあったけど、実は周りの人が随分と「負けてくれていた」のです。
問題はそのことに全く気づいていなかったってこと。
自分1人が正しくて勝ち続けて来たというのは、大間違いなのです。
 
子供と大人がトランプゲームをしたら、子供は大人に負けまいと必死になりますが、大人は「楽しいのであれば負けてもいい」と思っているわけです。
そう! 「大人は負けることができる」のです。
勝たなければ気が済まない、というのはチャイルド思考そのもの
そこをセッションでしっかり修正させていただきました。
 
周りが負けてくれていたことに、気づく必要があるんですね。
ここまで優秀で結果を残して来た、という自負心がある人程、それが必要なのです。
 
それを認めることはとても辛く苦しい。
でも認めることが出来ると、プールの底を思いっきり蹴って、水面に浮上するように、一気に環境が変わり、ステージが変わって来る。
 
本当の意味で幸せな成功者になっていくためには、周りの人がどれだけ負けてくれて、
自分を勝たせてくれていたのかに気づく事なのです。
 
それに初めて、ハッキリくっきり気づくと、自分がこれまでどれほど傲慢で、恥ずかしくて、とんでもなかったのかと。
だから未だに人をバカにしたり、上から目線で見てしまうと思う方は、どこかの地点で、思いっきり底に潜る体験が必要だ、ということなのです。
 

認める=手放す

薄々は分かっているけど、認めたくない!というのがあるのかもしれませんね。
でもね、もう薄々分かっていることは、ハッキリくっきり認めた方がいいですね。
認めたくない!と言ってる間は、しっかりそれを握って離していない状態だからね。
 
認めると手放せるのです。
それを中途半端にやるものだから、ずっと握ったままになっているんですね。
 
そうそう、先日行ったセミナー参加者の感想を、一部ご紹介させて下さい。
 

初めてあった先生は、とにかくアツい!
先生は「暑苦しいでしょ」と仰っていましたが、そうではなく心底アツい先生なのだと思いました。
その先生の思いに私も着いて行きたいと思いました。
一人ひとりの話しに耳を傾けた後、言われることがどれも的確で的を得ていたのが、本当にすごかった。
自己紹介だけで、ぼろぼろ心の垢が落ちたようでした。
これからよろしく御願いします。

 

私に「甘えたかった」という思いがあったことに改めて気づき、まだまだ癒されていないと実感した。
また子供の頃、欲しい物が手に入らなかった時、ふてくされて部屋の隅に身をひそめていた事を思い出し、
彼に対して話し合いもせず逃げていたことに気づきました。
被害者意識でいたのが、実は加害者では無かったのかと感じた。

 
>被害者意思でいたのが、実は加害者では無かったのか
これ、すごい気づきですよねー。被害者が180度変わる、ということですからね。
でも自分は「被害者だ」と言いたい時って、見事に自分が先に「加害者」をどこかのレベルでやっているんですよ。
でもそれがアタリマエ過ぎて、全く気づいていないだけ。
例えば自分は姉で、下に弟がいたとしましょう。
弟の事を自分の自由に出来る存在、まるで「家来」や「しもべ」のような存在だと思っているようなものです。
家来やしもべって、完全に「言いなり」にさせていた訳ですよ。それって小さいレベルで「加害者」だったわけ。
でもそれがアタリマエ過ぎると「それが何か?」くらいにしか思えない。
脅すのも当然のようにしていると「加害者」だなんて言われてもピンと来ないわけですよ。だから自分は「被害者」だと思っていたけど「加害者」だったかも、という気づきはすごいです!
認めると、本当にラクになって行きますからね〜!
湯川 央恵
 

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