負けを認める
「周りを見下してしまう時」というタイトルで、2016年6月に記事を書いております。
これ「負けを認める」っていう内容なんですが、とっても大事なので、是非読んでおいて下さいね。
https://ameblo.jp/katei-coach/entry-12168881298.html
現実がなかなか変わらない時って、最後の最後「負けを認める」ことが出来ないことで、引っかかっていることが大いにあるのです。
つまり相手に対して
「自分も悪かったかもしれないけど、あなただって悪いよね」と。
どこか自分をまだ上に持ちあげたい、言い訳がましい気持ちが残っている時、というと分かりやすいでしょうか?(笑)
「いや、でもどちらかが一方的に悪いってことは無いでしょ?」って思われました?(笑)
確かにそうなんだけど
「自分の人生の責任を取る」という観点でみたとき
「あの人も悪かったんだから」という発想をしている限り、自分の人生の責任の半分を相手に負わせているってこと。
だから現実が変わんないの。
Sさんの衝撃体験!
分かっていながらなかなか「本気の謝罪」が出来なかった方がおられました。
コースメンバーのSさんです。
このSさんが「本気の謝罪」をした時のことを、メンバーコミュニティ内で投稿してくださったのですが、その内容が強烈!
長文ではありますが、非常に示唆に富んでいたので、ご本人了解の上、メルマガでご紹介させていただきたいと思います。
湯川先生のセッションは、私の場合ものすごく早く&パワフルに現実に影響を及ぼしまして、
コース開始時には考えてもみなかった仕事や出会い、現実が次々に訪れ、その急展開にドキドキしながらも何とか食いついていってる今日このごろです。
それまでは、惚れ惚れするくらいゴロゴロ・ダラダラの生活を送ってきたので、伸びしろの多さは折り込み済みでしたが、その飛躍っぷりに我ながら及び腰になっております。
(中略)
そんなチャイルド満載な自分から、少しは成長できたと思っていました。
しかしながら、完全降伏というわけではありませんでしたし、徐々に降伏していけばいいや〜という甘えもありました。
なだらかに成長するほうが痛くないし、そのほうが楽ちんという思いがあったからです。
(中略)
それから数日後。きっかけは突然やってきました。
月に数回通っているボディメンテの駐車場に車を停めると、メルへンチックな格好をした林家パー子似のおばあさんが、向かいのアンティークショップから、金切り声をあげながら飛び出してきました。
どうやら、店の前に立てたカラーコーンの端が、車に接触してしまったようで、カラーコーンが少し凹んでいました。
私はすぐに気づき「すみません、すみません」と何度も謝り、カラーコーンを手で成形しました。
カラーコーンですから、足で踏んでも車で轢いても、すぐに形が元に戻ります。
私はあえて丁寧に、ゆっくりと伝えました。
「カラーコーンは衝撃に強く、時間が経つと戻る素材で作られていますので、多分大丈夫でしょう。でももし、傷が残ったり破損したら、同じものを弁償します」
すると、おばあさんは顔面をヒクヒクさせて激高しました。
「まー呆れた!あなた馬鹿なの?悪い事したら、まずは『すみません』でしょう?『ごめんなさい』でしょう?嫌だわ、本当に嫌だわ、アンタみたいな人間、本当に嫌だわーーー!」とわめきました。
その異様な光景に、近所から人も集まってきました。
私は「誤解です。最初に『すみません』と何度も謝りましたし、ホントに悪いことをしたと心から思っています」と
何度も説明しましたが、おばあさんは喚くばかりで、全く取り合ってくれません。
その時ハッとしました。
このおばあさんは「両親」であり「祖父母」であり「私自身」だと。
このような場面が、両親と祖父母の間で何度もあったからです。
謝っても説明しても受け入れてもらえない事もあったし、逆に私が激高する立場のこともありました。
目の前で起こっていることはメタファーであり、課題であると一瞬にして悟りました。
私は目の前で地団駄を踏むおばあさんに、様々な人物や過去を投影して、思いを込めて心から謝りました。
(中略)
その後、帰りの車の中で、両親や祖父母との思い出を巡らせていると、ふと兄の事が思い浮かびました。
私は兄のことを憎んでいましたが、その時ふと、兄からいろんなものを奪ってきた自分に気づきました。
いつも兄は私を愛してくれたのに、私は兄に腹を立て、兄を恨み、兄と競い、兄をバカにしてきました。
そしてなぜか、母の葬式の夜に家族で飲んでる時、酔っ払った兄が
「お前は勉強もスポーツも音楽も絵も何でも出来た。俺は何をやってもお前に敵わなかった。母もそう言っていた」と話していたのを思い出しました。
(けど、それは小さい頃に限った話で、どんどん堕ちていった…と続くのですが。笑)
少女期の私は、自分のことを何の取り柄もない、十人並みの子だと思っていたし、生徒会長でキャプテンだった兄は周囲から重宝されているように見えました。
なので、その時は「酔ってつまんねーこと言ってんなぁ」と、適当に流していました。
その記憶から、湯川先生の集中コースを始めた一番初めのセッションの事を思い出しました。
私は
「重宝されない。必要とされない。認められない。軽く扱われるのを何とかしたい」
と先生に相談しました。
まあ、ゴロゴロしているので重宝されるわけもないのですが(汗)
湯川先生は
「Sさんは、そもそも重宝されてるし、認められてるのに、アタリマエ過ぎて認識できていないのでは?」と言いました。
つまり、ただですら認められているのに
「そんなのでは足らん!もっと認めい!」って、ど厚かましい要求をしているとのことだったのです。
そのことを思い出し、思わずハッとしました。
「私は最初から愛されていたし、認められていたのかもしれない・・・」
傲慢すぎるあまり、自分に対しても周りに対しても大きな勘違いをしていたのだと初めて気づきました。
両親は、子どもを早く自立させようと、小さな頃から色々な家事や仕事、一人旅や農業をさせました。
とても教育熱心で、塾などに頼らずに、母と父で私たちに英語、習字、バスケ、そろばん、水泳などをスパルタンに教えました。
それがいかにスゴイことかなんて、今まで考えたこともありませんでした。
「愛とは相手の自立や成長を促すこと」と先生からあれほど教わっていたのに、アタリマエすぎて全然気づきませんでした。
でも、初対面のメルヘンばあちゃんにひざまづいて謝ったら、目からウロコが落ちて、見えなかったものが見えました。
私、愛されてたし、能力もあったんです!!
その能力を授け、育んでくれたのは、まぎれもなく家族や周りの方たちでした。
私は今、内容もジャンルも多様な5つの仕事と、2つのプロジェクトに携わっていますが、混乱しながらも何とか回せているのは、親が小さな頃から自立するために色々な教育を施し、多くの体験をさせてくれた賜物なのです。
今まで私は、親に感謝した「つもり」の、似非アダルトでした。
でも今は、感謝してもしきれないほど感謝が溢れてきます。
自分をまるごと受け止めてくれるのが愛だと思い込んでいましたが、大きな勘違いをしていました。
それに気づかせる大役を果たしてくれたメルヘンなおばあさんには、本当に感謝しています。
(余談ですが、おばあさんとはその後仲良くなって、メールをやり取りしていますww)
それから数日後。アゴが外れるくらいビックなプロジェクトへのお誘いを頂きました。
どうなるかは解りませんが、さらにエネルギーを出して、自分を高めて、プロジェクトに釣り合うよう能力を磨いていこうと思います。
如何でしたでしょうか?
いやー、ど迫力の体験記でしたね〜。
林家パー子似のおばさんのまくしたてる姿が、目に浮かぶようでした(笑)
ポイント1:謝るなら全身全霊で!
カラーコーンに当たった時、Sさんは謝っていましたね。
でも心の中で「これくらいで大げさな」というのがあったのだと思います。また「故意じゃないし」という思いも。
その思いを持ったままの謝罪って、ホント相手に響かないんですよね。まさに上から目線で「謝ってやってる」的な(笑)
実はコレ、まさにチャイルドなのです。
「ワタシ悪くないもーん」
「だってわざとじゃないし」
これ、みなさん幼い頃やっていませんでしたか?
あ、湯川もコレ散々やってましたです、ハイ(汗)
なので、このパー子氏の言い分は、もっともなのです!!
これを中途半端にやっていると、何故かいつまでもこういうことが起こり続けてしまうのです。
少しでも「自分は悪くない」があると、謝り切ることが出来ないですからねー。
「完全降伏」は実は「完全幸福」なんですね。
ポイント2:一元であると悟る
Sさんは、パー子似のおばさんから、喚き散らされている最中に、気づかれました。
このおばあさんは「両親」であり「祖父母」であり「私自身」であると。
ここがポイントになります!
■一元の視点で見る
目の前の嫌な人は、まさに自分の一部だということ。
つまり「一元の視点」です。これがとても大事なんですね!
「自分と相手」
このように相手と自分とは切り離された別々の存在、つまり「二元」だと思うと、問題は解決しないワケです!
感情が揺れ動く出来事であればあるほど、自分の中の一部であり、親の一部であり、世界の一部であるということ。
■自分の周りに自分を投影している
理不尽だと思えば思うほど、自分がこれまでずっと避けていたことや、軽んじていたことに向き合うきっかけになるんですね。
自分の中に怒りが多いと、自分以外の世界にも怒りを多く見ます。
逆に自分の中が平安だと、自分以外の世界にも平安を多く観るようになります。
Sさんはそれを渦中に見抜き、謝罪されたというのが本当にスゴいですね。正直、私がその立場だとしたら、その場で出来るだろうかと思いましたもの(苦笑)
ポイント3:問題が起こったときと同じレベルの自分だと、何も変わらない
Sさんの手記の最後にこう書かれてありました。
それから数日後。アゴが外れるくらいビックなプロジェクトへのお誘いを頂きました。
どうなるかは解りませんが、さらにエネルギーを出して、自分を高めて、プロジェクトに釣り合うよう能力を磨いていこうと思います。
ここまでの変化がなぜ起きたか?
それはSさん自身が「行動」したからなんですよね。
問題が起こったときと同じレベルの自分だと、何も変わらないわけです。
ってことは自分のレベルを上げないとイケナイってこと!
セミナー受講や単発セッションも入れると軽く1000名以上の方と関わって来ました。
「自己成長」無しに、問題解決はない!
だから相手を変えても、引っ越ししても何も変わりません!(笑)
自分に向き合い、これまで見ようとしていなかった自分の未熟な点や、傲慢な点を修正していくことで、自分が変わるワケです。
その変わった自分で、相手に関わるからこそ、相手も変わるし、現実が変わっていく、ということなんですね。
自分を変えずに「問題が解決しません!」と言っても「そりゃそうだよね」になるわけ。現実を変えていくためには、自己成長・自己変革が必須なのです。
Sさんはこれまで、相手に対して「本気で謝る」ということをして来ませんでした。
していたとしても、どこか「自分は悪くない」を持ったままの謝罪。
でも事件が起こり、相手の方に誠心誠意、謝罪をされました。
沢山の人に囲まれた中での謝罪は、それそれは苦しかったと思います。
恥ずかしかったと思います。
相手を一蹴して、その場から立ち去りたかったと思います。
むしろ、ガッツリ謝られたんですね。
自分をどこか棚に上げた謝り方ではなく、本気の謝罪です。全面降伏です。
まさに「自己変革」ですよね。
自分の非を認め、しっかり謝れるのは、大人にしかできません。
子どもはいつまででも「ワタシは悪くないー!」とダダをこねますからね。
だからそれができたのは、まさに「成長」なんです。
「あなたはありのままでいいのよ」
「そのままのあなたでいいのよ」
そうやって言われると、なんだかホッとすることもありましょう。
でもそのままだったからこそ、問題が起きたし今も解決していないのだ、ということ。
であるならば、自分を変えていく、ということをやって行く方がいいですね。
ということで現実を変えていくための3つのポイントをお伝えしました。
だからセラピストやカウンセラーに「これでいい」は無いの。常に成長していくことが求められる仕事ですからね!
湯川 央恵