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湯川です。
連日個別体験会が開催されています。一回一回全力投球で行うのですが、これが疲れないんですね。でも「やらされている」という被害者意識でやっていたら、めちゃめちゃ疲れるでしょうね(笑)
「愛されていない」と感じるシンプルな理由
さて体験会や個人セッションで、よく聞くのが「愛されている実感が持てない」
「愛されていない」と感じるのには理由があります。
とってもシンプル!
それは「あなたが愛されていない理由」を探し続けているから。
いろんな方の相談に乗ってきて、どれほど「愛されていない理由」を探し続けているんだろう、ってしみじみ思うわけです。
「愛されている」というと否定するワケ
私は絶対に、「あなたが愛されている理由」を伝えます。
すると、「いや、絶対に私は愛されていませんでした!」って抵抗されるわけです。
だって、○○だったし!
さらに、○○でした!
でも、○○もありました、ってね。
それほど「愛されていない自分」を証明するために、愛されていない証拠探しを、ずっとしてきたのでしょうね。
つまり、相手が私に愛をくれなかった、ということを証明してきたのです。
自分が「愛」をどう定義しているのか?
ここで衝撃の事実をお伝えします。
実は相手が愛してくれていたかどうかは、全く問題じゃないのです。
それらはすべて「自分が愛だと思っていること」の定義によって決まるから。
つまり、察してくれることが愛だ、と思っていると、察してくれないと「愛がない」と思うわけです。
優しく受け入れてくれることが愛だ、と思っていると、優しく受け入れてくれないと「愛がない」と思うわけです。怒られると「愛がない」と思うわけです。
子供の頃の自分が思った「愛」とは?
今は、頭でわかっているかもしれません。
でもこれらの定義を、子供の頃に当てはめて考え直してみること。
すると、悲しそうにしているあなたに「どうしたの?」と察してくれないなんて愛がない!と思ったかもしれないし
もう大きいんだから一人で着替えなさい!と言われると、自分で着替えさせるなんて愛がない!と思ったかもしれないし
抱っこして欲しかったのに忙しいからダメ!自分で歩きなさい!と言われたことで、子供のささやかな願いを否定するなんて愛がない!と駄々をこねていたかもしれません。
そう、むしろ親にすれば、愛がないのは駄々を言って無理やり抱っこさせる子供のあなただったかもしれないってこと。
このような小さなことの積み重ねで、愛がある、愛がない、と言う定義を膨らませ、そして、さらに愛がない妄想を膨らませてきた、のかもしれません。
それが分からない間は、自分はずっと被害者なのです。可哀相な人であり続けます。
「ひどいわよね」
「それはあり得ないよね」
そうやっていくら言ってもらっても、現実は何一つ解決していませんね。
こうして愛されたいと思いながら、頑なに「愛されていない」にしがみついている状態です。
愛が欲しいの?要らないの?一体どっちなの?と聞きたい(笑)
身近な人との人間関係にはお宝ザクザク
特に身近な人との関係性を見つめることは、多くの人にとっては「楽しくないこと」だったりします。
なのでずっと見ないように、放置しているんですね。もしくは自分に都合よく解釈して「処理済み」ボックスへ入れてしまっていたりね。
でも大概まだ処理できてないのです。
そしてそれこそが、宝箱なんですね。
ここには愛のタネも、豊かさのタネもザクザクなんです。
それを皆さん「いやなもの」として封印してきたんですね。
いやもう、びっくりっすよ!
道端に1億円捨てているようなものですよ!!マジで!
先日も体験会でこんな声がありました。
メルマガで読んでいるだけで、わかった気になっていたことが、よくわかりました。
実際に自分の場合に当てはめて、説明を受けてやっと自分の勘違いがわかりました!
これはね、ほんとよく言われます。これほど私たちは自分に都合よく
解釈しちゃうんですねえ。
さて、11月体験会は満席となりましたが
2名だけ増枠募集します。
愛されている実感が持てない方
いつも相手に振り回されていると感じている方
自分ばかり我慢するのはもうおしまいにしましょう!
ぜひ個別体験会にお越しください。