お金持ちなのに、彼女である私にはお金をかけてくれない
「お金をかけてもらえないと、自分に価値がないように感じる」という相談がありました。
お付き合いしている人が、自分にお金をかけてくれないと、
なんだか大切にされていない気がして、自分には価値が無いと言われているようで悲しくなる
お相手は裕福な方で、お金がないというわけでは無さそうです。
ところが、彼は自分の趣味や後輩には気前よくお金を出すのに、彼女であるNさんには「ケチ」なのだとか。
それで、Nさんは「なぜ!?」と悩んでおられたのです。
Nさんは、頭の中では嫌われているわけではないとわかっています。
とても大切にされていることも知っています。
それでも、許せない気持ちになってしまうんですね。
「お金をかけてくれる=愛されている」という図式ができてしまっていました。
なぜ、そんな図式をつくってしまったのか?
そこを究明しない限り、相手か自分を責め続けるしかありません。
そこで、このように導きました。
湯川:
小さい頃、お金をかけてくれないことで大事にされてないと思った経験があった?
Nさん:
実家の環境だと思います。「うちはよそとは違うから、諦めなさい」とずっと言われてきました。
服やおもちゃだけでなく、進学先も私立上位校を狙えたのですが、諦めてきました。
湯川:
そうだったんだね
Nさん:
あ、今気付いたんですが、こんなにお金をかけてもらえないのは、私に価値がないから・・・。
子供の頃、漠然とそんな風に思っていた気がします。
ああ、そのことに気付いたら涙が止まらない!
その後、お金をかけてもらえない=自分に価値がないという図式を背負ってしまった過去について、紐解いていきました。
行きたかった学校すら諦めてきた彼女は、親にお金を使わせることが、悪のように思えていたのです。
本当に欲しかったものは・・・
Nさん:
勉強が好きだったけど、それすら罪悪感を感じてしまいました。
「私は、お金をかける価値のない子」って思っていたんです。
湯川:
自分を不幸にする道を選ぶ癖が、ここで結びついたね。
Nさん:
あぁ、まさにそうです!
自分が価値のない人間だと思っていました。
好きな勉強で認めてもらえない以上は、価値のない自分らしく振る舞う=悪いことや親を困らせる
という選択肢しかなかったのです。
湯川:
そうかあ、、、それしか選べなかったんだよね。
それはつらかったなあ。
だから、自分を貶めるような道を、無意識で選んでしまっていた。
大変やったね・・・。
Nさん:
はい、しんどかった。めちゃくちゃしんどかったです(号泣)
湯川:
ようがんばったねえ。
(Nさん号泣・・・湯川Nさんの背中さする)
じゃあそのときを振り返ってみて、本当に欲しかったものは何だったと思う?
Nさん:
本当に欲しかったもの・・・なんだろう
・・・!!
ただ、母に褒めてほしかったんです。
すごいね!って母に言ってもらいたかった。
自慢の娘って言われたかった。
(そう言って、彼女は再び号泣しました。)
このように、人は本当の気持ちに気づいたとき、滂沱の涙を流します。
それは、ずっとそれが言いたかったの!という感じの勢いです。
自分の気持ちに、自分が気づいてあげること。
それって、簡単そうに思えて、実は一番できていないことなのです。
彼がお金を払ってくれないという行動で、自分が置き去りにしていた「傷」に気付くことができたんですね。
同じ「お金」の傷を負う人たち
この記事の読者さんから、こんな反響がありました。
私も褒めてもらえず、お金も我慢。
私には価値がない。勉強できても意味がない。
むしろ成績が良いと目立つからマイナス!と考えるようになり、自ら堕ちていきました。
不幸癖のルーツがこんなところにあったのですね。
お付き合いしている彼から
「俺に金をかけられないのは愛情が無いからか!」と詰め寄られた事があります。
私にもお金のブロックがあるので、彼の気持ちは理解できます。
でも、ついお金を渡したり、要求されたモノを買い与えてしまいます。
Nさんの実例を読んでいて、これって私のことだと思いました。
彼にお金をケチられると、心がしおれてしまうのです。
その理由がハッキリ分かりました。
私も、もう自分の傷を解決する時期が来たということなのですね。
Nさんのように愛情=お金という図式を背負ってしまうというのは、特別なことではありません。
そのほとんどが、幼少期に起因します。
それを究明せずに、表面的な問題として捉えている間は、同じような問題が繰り返されます。
引き継いだのは、母が負った傷だった
小さい頃に自分にお金をかけてもらえなかったのは、貧乏だったからではありません。
お母さんが幼い頃に苦学されたそうです。
学校に行ける事が当たり前とは思ってほしくない。
両親が揃っていて、育ててもらえるだけであなたは幸せ。
受験なんて贅沢、わがまま。
こういった価値観がお母さんの中にあったのです。
Nさんの母親が「お金の傷」を負っていました。
だからこそ、無意識に母親の持った「お金の価値観」を子どもに押し付けてしまったのですね。
このことを裁く必要はありません。いいも悪いもありません。
母親としては「良かれ」と思ってやっていたことです。
よもや、こんな辛い「傷」を負わせることになるとは、想像もしていなかったはずです。
でも母親が「傷」を持っているからこそ、子どもに同じ「傷」を引き継いでしまう。
だからこそ、自分の代でこの負の遺産を解消させる必要があるのです。
このセッション後、Nさんは彼に自分の気持ちを素直に伝えました。
すると、あれほど「ケチ」だった彼が、支払ってくれるようになりました。
「お前が払うのが当然」といった態度だったのに、Nさんの気持ちを汲むような言葉が出るようになりました。
これは、Nさんが彼を変えようとしたのではありません。
Nさんが、「自分の問題」として捉え、自分の心と向き合ったから起きた変化です。
その後のNさん
このセッションはとても有意義でした。
生きている中で、どうにもならない怒りが込み上げてくるシーン。
たとえば、「なぜ彼はこんなにケチなの!なぜこんなに大事にされていないように感じるの?」という、行き場のない怒りの正体を、自分の中に見つける事ができました。
そして、それを解決できました。
これからの人生において、どんなに激しい心の動きがあっても、それにはちゃんと理由が自分の心の中にあって、その思いを救ってあげて解決していけば、もうその思いに悩まされる事はなくなる。
それがわかったというのが、生きていく力になります。
この手段さえ知っていれば、どんなことにも対応できる気がしているのです。
そうなんです。
どんな感情にも、そう感じる理由が存在します。
その理由は、自分の中に見つけられます。
それを知る「手段」つまりその方法を身につけていく事で、感情に翻弄されることがなくなります。
人目を気にしてハラハラしたり、自分と誰かを比べて落ち込んだりイライラすることから解放される。
それどころか、これまで見えていなかった部分に、ようやく目が行き届くようになるんですね。
見えているようで、本当のところは見えていないものです。