夫の不倫が発覚!

 

信じていた夫に裏切られ、身も心もズタズタになった私。一緒に住むことなんかもう出来ない!
別居して弁護士に相談した私は、相手女性に対し裁判を起こし、慰謝料を支払わせた。それだけじゃ済まない!不貞夫には当然、毎月の婚姻費用も支払って貰うのは当然。
「あんなヒドいことをした夫や女を、許すわけにはいかない!」
そう思い裁判に勝ち、相手女性からも夫からもお金を支払ってもらったのに、何だかモヤモヤしたまま。
一体なぜ?
どうしたらいいのか・・・。

 
今日はこの相談があった、Sさんの事例をお伝えして行こうと思います。

モヤモヤしたSさんが、友達や周りの人に聞くと、皆さん一様にこのように言われたそうなのです。
「夫からも慰謝料もらいなさいよ」
「夫は当然支払わなければならない義務と責任がある」
「あなたは当然受け取る権利があるんだ」
などと言われ、Sさんも「その通りだ!」と思う反面、何とも言えない気持ちになっていたそうなんですね。
 
通常なら「貰うものを貰っておけばいい」という発想になるのでしょうが、Sさんは、湯川の3ヶ月集中コースを受講されておられました。
ですので「夫婦は鏡」だということを理解されていらっしゃいましたし、ご自身の中に、元々親に対して求めた
「何でもやってもらってアタリマエ」「言わずとも察しろ」という思考があったということにも、気づかれていたんですね。

ここからはSさんの気づきを、少しご紹介したいと思います。
 

夫婦は鏡

これまでSさんは、夫のことをこのように思っておられました。
夫は自分のやりたいことを押し通す人で、私はいつも我慢する人。
話し合いになると夫は応じず、肝心な部分になるとはぐらかす「無責任な人」
ところが、セッションを重ねる中で、それはまさに自分自身がやって来た事だったのだ、ということに気づかれていったんですね。
「鏡」ですから、相手のここが悪い!と思っていることって、自分にこそちゃーんとあるわけです。それを相手の姿を通して、見せてもらっているワケですね。
 

いちいち言わなくても分かるでしょ!

夫の不貞が発覚する随分前のある日のこと、Sさんは夫と友人が主催するXmasパーティーに参加されました。

前日まで仕事が激務だったSさんは、とても疲れており、パーティーは眠くて仕方なかったんですね。
それを見て、夫は
「どうしたの?何かイヤなことでもあったの?」と心配そうに聞いてくれていたことがあったそうです。
なのに、Sさんは「別に」と!
エリカ様か!とツッコミたくなりますが、当時のSさんは、それを何とも思っていなかったんですね。
一言
「今日は疲れていてそれで眠くなったの」
と言えばいいのに、それすらも言わない。
 
Sさんの場合、それを駆け引きで使っているのではなく、本当に言葉にする、という意識が完全に無かったのです。
そんなことをいちいち言葉にするのはどうか?と思っていたそうなのですが、言わないとそもそも伝わりませんし、Sさんにさほどの不自由がなかったのであれば、それくらい周りの人がこれまで察し続けてくれていた、ということなのです。
こうしていつも自分では何も言わず、最後の責任をうまく相手に取らせていたのだということに気づかれたわけですね。
 

無責任だったのは、ワタシ!?

実は夫こそが、ずっと向き合おうとしてくれており、むしろ無責任だったのは自分だったのです!
夫はどんな気持ちで日々を過ごしていたのだろう。
婚姻中もアタリマエのように養ってくれていた夫。心を通わせない妻に、どんな忸怩たる思いを抱えていただろう。
不貞をしたことも、今なら夫が心を通わせられない妻に対して、どうしようもない思いがあったのかもしれないと。

これまで本当に、ごめんなさい・・・。


涙でむせびながらSさんはそうおっしゃいました。
 
別居している今も尚、毎月きちんと婚姻費用を振り込んでくれている夫。滞る事も払いしぶりも、ただの一度も無い。毎月毎月、そんな多くない収入の中から払ってくれていた夫。
それをどの口が「無責任」というのか!
自分だったら同じ事ができるのか!
 
毎月払ってくれていることも、これまでは「アタリマエでしょ!」の一言で済ませており、いかに自分が傲慢で、わがまま姫だったのかと。そんな風にSさんは思われたんですね。
 
こうして心の奥底で深く納得したとき、人は「変わらなくては」とか「感謝しなくては」などと思わなくても、自然にできてしまうものなのです。
でも、お腹の中まで納得していなければ、人の行動は変わりません。その場合、同じ事を繰り返しますから。
 

愛が無いのではなく、愛に気づいていないだけ

相手の愛に気づくと、あんなことも、こんなこともと気づきだすんですよね。
沢山の愛があったのに、それを自分が「愛」だと認識していない間は、取りこぼしだらけなのです。もったいないですし、愛してくれていた人からすると、悲しくてとても残念だったと思います。

被害者で在ることを選択することは「不幸になることだ」ということを知る

ここでちょっと湯川の事例をお伝えしますね。
 
私が夫と別居だ離婚だと大騒ぎしているときの話です。
友人や周りからは「そんな人とは早く離婚したほうがいいんじゃない」と言われ、DV専門弁護士からは「証拠第一なのでDVされている現場を録音するなり、写真に撮って残しておいて下さい」と言われておりました。
慰謝料請求する時に、少しでも役立つように、ということだったのですが、その証拠を集めている時が、恐らく一番しんどい時期だったと思うのです。
 
なぜならば、集まるまで自分は「被害者」で在り続けなければならないから。
より効果的な証拠音声を録音しようと思えば、自分がいかに虐げられているか、いかに相手が悪い存在なのかを、分かるようなものにしたほうが裁判で有利な運びになるから。
なのに心のケリをつけて、さっさと未来に向けて前向きになってしまうと、証拠が集められないから。
鬱っぽくなったり、手あげられ外傷を負うと、診断書が出る。これまた慰謝料に加点ポイントになるから。

ホントは幸せになりたいハズなのに、こうやって自分から不幸にハマっていくわけです。
ちょっとでも多く相手から慰謝料を、なんて思うから、逆にそこからぬけ出せなくなる。何をやってるんだ!?てなワケです。
 
なので、もし今、幸せになりたいはずなのに、行動としては真逆のことをしているかも?と思われた方は、ちょっと立ち止まって考えてみて下さい。
あなたはどうなりたいのですか?
その行動はそれが叶う方向になっていますか?
 

「しあわせになる」と決めること

 
最後にSさん曰く、

もう夫を責めるのを止めます。責めることを正当化するためには、自分が幸せになるワケにはいかなかったのです。もう、それはやめます。
ワタシ、幸せになる事を、決めます!

そうなのです。
夫も自分もがんじがらめにして、身動き取れないようにしていたのは、他ならぬ自分自身だったということ。
 
相手の不貞は、それは悲しい出来事だったと思います。
でもそれがあったから不幸になったわけではなく、むしろその出来事を今も尚手放さず、被害者意識に囚われていることこそ、不幸の連鎖に繋がっていたということなのです。
 
夫婦ですから、必ず自分にも改めるべき点があるはずなのです。
それを相手が悪いと言い続けている限り、自分の成長もないですし、同じ事を繰り返してしまいますね。

鏡に写っている相手の顔に墨がついているなら、鏡を拭いても、鏡を替えても意味がありません。
映っている本体である自分自身の顔についた墨を取らなければ、全く意味が無いのです。

 
たとえ話だと分かるのに、いざ自分の事になると「相手が悪い」「問題は相手にある」などと思いがち。相手をいくら替えても、何ら問題解決には至りませんね。
 
まずはあなた自身が「しあわせになる!」と決めることなんですよ。
そう、決めていいんです。
もう、十分やって来られましたからね。
 
 
下記から相談して頂くことが可能になりました。
一人でモンモンと考え込んでいるよりも、プロのアドバイスを聞くと早いです。一人で頑張りすぎないってこと!
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