本当はみんな決断や選択をしている
「自分は決めることからずっと逃げて来た」という方が結構おられます。
本当は日々いろんなことを決断したり、選んでいるんですよ。
例えば道路に空き缶が落ちていて、それを拾ってゴミ箱に捨てるという判断をすることもできるし、無視するという判断をすることもできる。
100円貸してと言われて「OK」もしくは「NO」を決めることもやっているんですよね。
他にもこんなのがありますね。
例えば、いざこざや争いが起きたとき
・ 自分の言い分を相手に思いっきり言うこともできます
・ 自分が折れて、相手に合わせることもできます
・ SNSを使って相手を攻撃することもできます
・ 相手の言い分を聞いて、相手の立場に立とうとすることもできます
・ 一旦頭を冷やす時間を置き、自分の気持ちを書き出す時間を取ることもできます
例えば、相手が自分の期待した反応と違ったとき
・ 相手にその反応を取った理由を聞くこともできます
・ 相手に言わず、察してもらおうと不機嫌になることもできます
・ ガッカリしたり残念だったり、腹立たしかったりという、自分の気持ちを相手に伝えることもできます
・ 自分の高い期待レベルを変えることもできます
・ 少し様子を見ることもできます
こんな風に私達は、その時々において選択をしているんですね。
「自分は決めることからずっと逃げて来た」という方は「他人に責任を負わすように決めて来た」のかもしれませんね。
選択の結果が“今”
そしてこれまで自分がしてきた選択の結果が「今」なのです。
その「今」が理想の「今」でなくても、選択したときは「最善の選択」をしてきたんですよね。
選択するときに誰も「悪い選択をしよう」だなんて思っていないのです。
でもその時には「最善」と思っていても、それ以外の選択肢を見つけることが出来なかっただけなのかもしれませんね。
次回はさらに「自分で決める」ということについて
深めていこうと思います。
★湯川の今日の一言
自分の取れる選択肢は、いくつもある