優越感は劣等感とセット。人からの賞賛や褒め言葉「いいね」が欲しくて自分を演出していませんか?それをしなければいけない程、本当は「自分に価値がない」と思っている証拠なのです。そのため無意識に人を見下したり辱めたり。そんなことをしても本当の満足感は得られません。ではどうしたらいいのでしょう?ポイントを解説しています。
優越感にハマっていませんか?
人より出来る自分。
スゴい!という羨望の眼差し。
周りから「いいね」を沢山もらい、賞賛を浴び
「いやー、それ程でも」と言いながら、本心は「たまらんっ!」と思っている自分。
自分の実力をコツコツ積み重ねて来た結果、周りから賞賛されることは、もちろんあるでしょう。
でも賞賛や褒め言葉、評価が欲しくて、出来る自分、スゴい自分を「演出」している時、それは「優越感」にハマっているだけ、かもしれません。
優越感は、持続しません。
なので足りなくなると、すぐに補給に走ります。
つまり賞賛を浴びるために、スゴい自分、出来る自分を周りに繰り返しアピールします。
自分では「優越感が欲しい」とは理解できていないため、賞賛を浴びる迄のプロセスがショートカットで起きているんですね。
なので本当に丁寧に見て行かないと、本人さえも気づいていない程の微細な思考。
周りはそんな様子を、結構冷静に見ています。
優越感のルーツ
では、何でこんなことになってしまうのでしょう?
これも子供の頃の自分に、さかのぼる必要があります。
例えば夏休みの宿題。
工作など親や兄姉に、やってもらっていなかったでしょうか?
立派な作品を「さも自分一人がやりました」というような顔で、提出していなかったでしょうか?
きょうだいの持っているものを、羨ましがっていなかったでしょうか?
きょうだいが居ない時に勝手に使い、さも自分のもののように振る舞い、友達から羨望の眼差しを浴びて得意げになって来なかったでしょうか?
また親の欠点を人前で暴露して、恥ずかしい思いにさせていなかったでしょうか?
例えば
「うちのお母さん、三段腹なんだよー」とか
「すっごいイビキなんだよ」「おならが臭いんだよ」とか。
そうやって親を見下し、はずかしめて、勝ったような気になっていなかったでしょうか?
それが優越感をインスタントに得ている、ということなのです。
このインスタントな優越感は「偽物」なのです。
父親が母親を見下す姿がイヤだったと思っていても、まさか自分もやっているとは思いません。
むしろ父親以上に、母親を召使いのように、自分の世話をするのが当然だと思い、母親のことを人前で恥ずかしめることくらい、大したことじゃない。
なのに「そんなことくらいで」と、怒る親を許さず、何なら「無邪気なアタシ」くらいに、自分のやったことは、軽く軽く思っていなかでしょうか?
こんなことを「悪気無く」やっていた、というのが本当のところだと思います。
でも悪気無くとも、やったことはやったこととして、潔く認めて心から反省すること。
そして二度としないと決意すること。
優越感を得たいなら、正当に努力して、コツコツ積み重ねて勝ち取ればいい。そっちのほうがデッカいものを得られますし、何より心の安定感が全く違います。
これまでやったことを、しっかり心の中で謝罪しないと今度は自分が人前でヒミツを暴露され、恥ずかしめを受け、相手に負かされたように思うことが未来にやって来てしまうからね。
脅すつもりは無いのです。
ただ、自分が蒔いた種は、自分が刈り取らないといけません。
そうなってから慌てても、もう遅い。
だから相手のせいにしても、自分を美化しても問題を先延ばししているうちは何も解決しません。
そのために、自分の思考を見て行くことは、本当に大事なことなのです。
そしてそれは一人では出来ません(きっぱり)
なぜならば人は自分の「あたりまえ」に気づくことは相当難しいから。
第三者からのフィードバックや、専門家からのサポートを受けながら、やっていくことが本当に確実で、早いの!
私は表面的な解決法を提示しません。あくまでも根本解決です。
繰り返し同じ問題で悩むのではなく、その人が成長し、幸せになって行くための視点をブレさせません。
『いかなる問題もそれが起きたのと、同じレベルで解決することはない』
アインシュタインの言葉です。
自分を被害者にさせず、誤摩化しも美化もさせない。本当の意味で賢いしなやかな大人の女性になってほしい。
そう心から願っています。