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被害者意識(嫉妬心)を手放したい
色んな方のセッションを通して、いつも痛感することがあります。
セラピスト自身が自分のダークな部分を見つめ、被害者意識を手放すことが、いかに必要なことかと。
被害者意識にもいろいろありますが、目立つのは嫉妬心です。
男女の嫉妬心というよりも、能力の嫉妬心です。
そして嫉妬心の根っこには
「大事なものは奪われる!」
という思考があるんですね。
湯川の場合
私自身もその思考がありました(爆)
そしてよーく考えてみると、私の場合
姉に奪われていたように思っていたフシが、どーもある。
親から姉にだけ与えて、私には与えてもらえなかったことが思い出されました。
「何でお姉ちゃんだけ!?」
そのことで「姉から奪われた気になっていた」んですね・・。
でもね、そこを更に深く見ていくと、、、、。
私は、親や周りの人に、やってもらってばかりだったワケです。
簡単に美味しいところだけ持っていきたい、
そんな子どもだったんですよね…。
そんな状態なのに、私は親に対して
「姉と私を同じにせよ!」と思っていたってこと・・・。
そりゃ無いよね。
奪っていたのは、私
しかも、よく考えてみると
姉から何一つ奪われてなんかいない!
それどころか私は、母を独り占めしていた…。
母のひざを当然のように陣取る姿をいつも姉は羨ましく見ていたよな…。
私は妹という立場をフル活用して、
母に甘え、母を独り占めしてきたんだ。
奪われたのは、私じゃなく
実は姉のほうだったんじゃないのか?!
そのことに私はほんとに気がつかず、
というよりも、
独り占めすることが「当たり前でしょ」くらいに思っていたんだ!
いやー、ホントどんだけやねん!という子ども時代でしょ。
いやもうお恥ずかしい…。
大人になっても子供の頃の嫉妬心がパターンになる
夫の会社を手伝っていたときに、ある社員さんに嫉妬していたことがありました。
そのときに、奪われるような気がしていたのは、
自分こそが、こうして奪っていたからってこと!
美味しいとこ取りされるような気がしていたのは、
自分こそが美味しいとこ取りしていたんだ!
守られる立場を利用して奪っていたから、
だから他人からそうされると思っていたんだ!
あー、全部自分の姿だ!
こんな自分に気づいたわけです。
夫がその社員さんを褒めるのを苦々しく思うそのルーツは、
まさにここにありました。
奪われるような気になっていたのは、
まさに私こそが奪っていたんですよね。
世の中はシンプルに循環していた
こうして、やったことは
ちゃんと巡り巡って来るわけです。
自分が奪わなければ、奪われることはない。
これが世の中の構造なのです。
とってもシンプルでしょ。
奪っていなければ、
奪われる心配がないワケです。堂々とできる。
それができないのは、
どこかで自分こそが奪ってきたから。
だから奪われる不安や
実際に奪われるようなことが起こるわけですね。
人を教え導く立場として
セラピストやカウンセラーが
この「嫉妬心」を乗り越えられないと、
クライアントの「嫉妬心」をどう扱ってよいか、さっぱり分からないのです。
クライアントと一緒に相手を非難して
「あなたは悪くないのよ」とか
ありきたりの言葉を言うしかできないのです。
それだとクライアントの問題解決など、できようがない。
もっと言えば「嫉妬心」の視点が見えないときは
セラピストやカウンセラーが
現在進行形で奪っている、ということだって有り得る訳です
相手に嫉妬するのは
それが才能であれ、愛情であれ
「置いていかれる恐怖」や
「自分に価値が無くなる恐怖」なんですね。
セラピストやリーダーに必要な視点
セラピストやカウンセラーに限った話ではありません。
いわゆるリーダーと言われる方が
部下や後輩の才能に嫉妬して
潰しにかかるというのも
夫が妻の成功に嫉妬したり
妻が夫の成功を素直に喜べず不安になってしまうのも
「置いていかれる恐怖」や
「自分に価値が無くなってしまう恐怖」があるわけです。
この「嫉妬心」は最後まで残る「煩悩」とも言われます。
折角いいところまで行ったのに
この「嫉妬心」で全てを台無しにしてしまうこともあるのです。
人間がより高みを目指す生き物である限り
「嫉妬心」はある意味なくならないものかもしれない。
もしかして「永遠のテーマ」なのかもしれない…。
だからこそ、尚のこと
セラピストやカウンセラーといわれる人は
この部分をしっかりクリアしていく必要があるのです!!
私自身、
夫の会社の社員さんへの嫉妬心もありましたし、
他にも仲間の成功をガンガンうらやんでたこともありました!
ぶっちゃけそんな出来たヤツじゃないの(苦笑)
でもねその苦しい嫉妬心を乗り越えて来たからこそ、
伝えられるものがあると思うのです。
いや、今だってぶっちゃけ
嫉妬心が、むっくり顔を出す事だってありますとも〜。
ただ、今なら、その嫉妬心に翻弄されることはまず無いし
「あら、アタシ嫉妬してるのね」と
すぐに認めます(笑)
その上で嫉妬した相手に見た「理想像」に近づけるよう具体的に努力する、
という方向性に切り替えられているワケです。
そうなると、かなりラクですよ〜。(笑)
脳が進化している若い起業家たち
でもね、この時代、
嫉妬心などというものを、
遥かに超越している人達もいるのです。
20代半ばで起業家として
バリバリやっている人の話を聞いたのですが、
彼らはもう、脳のバージョンが我々とは全く違うのではないか!と
感じる程なんですね。
彼らの中には
嫉妬心や、奪う奪われるとか、そういう発想がなく、
住んでる世界が違う感じなんですよ。
勝った負けたでもなく、
取った取られたでもない。
そういう価値観って、彼らの世代からすると
「ダサい」んですって!(涙)
あくまでも自然体で、自分の価値を提供しつつ、
自分や仲間の成長にフォーカスしている。
そこに気負いもなければ、
無理している感じもない。
実に美しい、そして潔い。
今、若い世代で、
こういう人がドンドン出て来ているんですね。
我々世代の価値観は、
彼らの言葉を借りると「ダサい」し、
本当に前時代的なのだとハッキリ言えると思います。
嫉妬心を超越していた身近な人
それ以外でも、
私の身近に嫉妬心を超越した人がいました。
それが先日急逝した義父。
父は自分の持っている知識やノウハウを、
惜しみなく他人に伝えてきた人でした。
見返りを求めるでもなく、
その人にとって必要だと思うものは、どんどん伝えて行く。
それって、
心に何の不安もないから
出来ることなんだと思うんですよね。
取ったとか取られたとか、
勝ったとか負けたとかを、遥かに超えている訳です。
その姿を最初に見たとき
「うわっ!スゴい」と思ったのを覚えています。
仮に「取られた」としても
それを上回るものを「生み出せる」
という自己信頼があったと思うのです。
結局自分が、世の中をどう見ているか、
それに尽きるわけですね。
後進を育てるということ、社会に貢献するということ
「教育のゴールは、教える者も教えられる者も、
師を「超えられる」「超える」ことにあるのです。
そうでないと文化は発展しません」
この言葉は衛藤信之先生の著書
「心時代の夜明け」に掲載されていた一文です。
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15年前に読んだときは
「ふーん」という程度だったのだと思います。
でもいろんなことを経験してきた今、
この一文から目が離せませんでした。
「ホントにその通りだ!」と思った訳です。
今の豊かな社会に自分がいれるのは、
先人達が教え導き、
後進の人に「自らを踏み越えて行け!」という思いでいてくれたから。
振り返るとそこには、
先人達の屍(しかばね)が累々とあるわけです。
でも
「その屍を乗り超えていけ!そして未来に繋げろ!」と。
そんな思いがあったからこそ、
この文明のメリットを、現代に生きる私たちが、
今、あますところなく享受させてもらっているワケです。
そのときに、先人達が
「師を超えていくなど許されない!」
などと言っていたなら、
ここまで発展した社会になっていないはず。
そう思ったときに、私がやることは
自分の持っているノウハウや知識だけじゃなく、
これまで失敗してきた数々の経験すらも開示していくことは当然で
自分だけのことではなく
社会のこと
これから先の未来のことを
ド真剣に考えられる人に
まずは自分自身がなっていくこと!
そしてそういう人達をどんどん育成していくこと!
これまでの経験が自分を創り、
自分の軸になってきたならば、
全てを惜しみなく伝えていこう。
そう思ったんですよね。
これまでもその思いはあったけど、
完全に肚に落とし込んだ、という感じなのです。
カウンセラーが自分自身を見つめること
等身大の湯川は失敗も多いし、落ち込むことだってあるわけです。
でもそんな中でも今こうしていれるのには、
自分自身をありのままに見つめる、という
作業なくしては無理だったと思います。
自分を見つめる作業というのは、
ある意味、恐怖を伴います。
「嫉妬していることを認めてしまったら
自分が負けたような気になってしまう」
「自分が自分じゃなくなるんじゃないか」
「抑えていた感情が一気に溢れてしまうんじゃないか」
そう思うと、自分を見つめることから
逃げ出したくなる気持ちは、本当に痛いほど、良く分かります。
真っ暗な峠道を
たった一人で歩むような、
そんな心細さがあるんですよね。
だからこそ、一人ではとても難しい。
その道を案内する
ナビゲーターが必要なのです。
ナビゲーター自身が、
その道を駆け下りる恐怖を知っていること、
そしてその恐怖をくぐり抜け
谷底から上がってきた経験をしていること。
それらの経験が
クライアントを安心して光に導く際に
必要となる「軸」になるだと思うのです。
この軸を持っている
カウンセラーやセラピストが、
一体どれほどいるのかと思うワケです。
何度も何度もその真っ暗な道を降りて行ったことがあり、
その先の道も知っている、そんなナビゲーターです。
ナビゲーター役が
自分のありのままの姿を見つめることも
受け入れることもせず、
ましてやその恐怖も知らないのに、
クライアントには「自分を受け入れなさい」なんて言うのは、おかしいでしょ。
自分を棚に上げたセラピーやカウンセリングは、
結果的にはクライアントを
一層迷いの淵に追い込んでしまうことになる。
そう私は思っているんですね。
とはいえ、そういうクライアントの
心の微細な動きにも理解を深めつつ、
同時にあっけらかんとした明るい人生観も持ち合わせる、
そんな両面兼ね備えた
柔軟性のあるセラピストが必要とされていると感じます。
そしてそんなセラピストやカウンセラーを育てていくことに、
私の遺された命の時間を
使って行きたいと思っています。
これからもいろんなことがありましょう。
でもどんなことが起こったとしても、
どんな環境の中でも
この人生を目一杯楽しめ、
笑いながら生きることのできる人間でありたいと思っています。
湯川 央恵