不安でたまらない新妻からの詰問
新婚1年目の新妻Yさんの事例からご紹介しましょう。
優しいご主人とハッピーな毎日を過ごしているかと思いきや、些細なことでケンカが絶えないとのこと。
Yさんは、夫のすべてを把握しないと不安で仕方ない。ことあるごとに、夫を詰問してしまうのだとか。
「今日は何してたの?」
「誰と飲んでたの?」
「どんな話をしていたの?」
「他に誰が居たの?」
「私が家で一人待っている事についてどう思っていたの?」
最初のうちは、ご主人も素直に受け答えしてくれていたそうです。しかし毎日つづくので、次第に話さなくなってきたんですね。
そうなると、Yさんは一層不安になっていきます。
不安が増幅して、更にあれこれ問い詰めてしまうようになっていました。
ある日「もういい加減にしてくれ!」と夫が大声を。
これまで一度もそんな風に言われたことがなかったYさんは悲しいやら、腹立たしいやら…。
でも本当は、このままではいけないとわかっていたんですね。こんな事ばかり聞いていると、いつか大事な夫を失うかもしれない…。
でも、聞かずにおれない…。
夫はこれまで正直に言ってくれていた。夫は何も悪くない。
全て自分が悪いのだと・・・。
いい子じゃない私も愛して!
彼が嫌がることだと分かっていても止められないYさん。
いやー、ホント大変ですよね。
お話を聞いてみると、幼いころはわがままを言わず、自分の気持ちを押し殺して「いい子」だったそうなんですね。
本当は我がまま言いたかった!
自分の思っていることもバンバン言いたかった!
でも自分はそうせず、親の顔色を見て「いい子」にしてきたんだ!
親から関心が欲しかった。もっと誉めて欲しかった。
だから親の喜ぶ自分で居ようと思い、我がままも言わずいい子にしていたのに!!!
全然良い子にしていない妹のほうが可愛がられている!!
子供ながらYさんは、そのことがとっても「理不尽」なことで、かつ愛情が取られる「不安」や「恐怖」と感じたんですね。
そんなYさんは、自分が親に対してやってきた「顔色を伺う」ことを、夫に求めてしまっていたんですね。
「愛しているなら相手の顔色を見て察するべき」
「愛している人を不安にさせるべきではない」
これがYさんの持った「愛の定義」だったのです。
これを無意識に、愛している人に対して求め、同時に自分もまた、夫の顔色を見ては「怒らせてしまった」とビクビクしていたわけです。
Yさんは夫に、ついいろんなことを聞いてしまうことについて、後に、こんな風に述懐されていました。
「いい妻じゃなくても私をそのまま愛して!」とチャイルドが叫んでいるんだ、と当時は思い込んでいました。だから彼の愛を確かめるために、彼を困らせるようなことを言ってしまうのだと。
でもこのYさんの言う「愛」とは何か?ということなのです。
相手がうんざりするようなことまでもを受入れることが「愛」だとするならば、自分も相手からうんざりするようなことをされた時に受入れないといけなくなります。それをもしイヤだと思うと、非常に罪悪感を感じてしまいますね。
そして、彼がその要求に応えると、さらに強い要求をします。Yさんは、そんな自分に嫌気がさしながらも、やめられませんでした。
Yさんは、次から次へと彼に無理難題を要求していき、次第にエスカレートしていました。
つまり愛されているかどうか”不安”な状態でいることが、夫に無理難題を要求する口実になっていったんですね。
”不安”と言えば、相手を自由にコントロール出来る、最高のカードだった、というわけです。
これはもう、お互いが疲弊します…。
そもそも一体、
なぜこんなことになったのでしょう?
それはひとえに「愛の定義が間違っていた」。これに尽きるわけです。
「愛」とは相手の何もかもを受入れることなんかじゃありません!
「愛」があれば相手を不安にさせることはない、も違います!
「愛」とは相手の自立や成長を促す事。
何もかも受入れて!と思うのは自立や成長と真逆の「依存」ですね。また「不安」になるかならないかは自分の受け取り方次第。不安だけじゃないですね。どんな感情であってもその責任は自分にあるのです。
子供の頃に持った、ほんの些細な思い込みが、こうして大人になるまで自動操縦になって私達の人生を運んでいくんですね。
単純にコミュニケーションを学べばそれで解決!とならない理由がここにある訳です。パートナーとの関係性だけじゃなく、上司部下との関係性も「親との関係性」が全てに現れます。
ここが全ての「根っこ」になります。親に対して期待した事、思っていた事、それを振り返る事と、今の自分の問題点は、何らつながりが無いように思うかもしれません。
しかしそれを振り返ることで、得られるメリットは計り知れない位の大きなリターンとなって自分に帰って来ます。
親とは「自分のルーツ」そのものです。
その親に対して批判していたり、見下しているというのは、自分のルーツに「×」をつけているのと同じ事。
自分のルーツが「×」であれば、当然未来も「×」になってしまうのです。
それは本当に勿体ない。
自分の力をもっと存分に発揮していいのです。人生をさらに創造していっていいのです。自分の根っこである親との関係性を見直した時、実はそれまで気づいていなかった、沢山の愛に気づく事になります。
これまでどれだけの見えない手で自分が守られて来たのか。
それと同じくらい、これからのあなたは誰かの人生を支え、守る力があることに気づく事でしょう。
あなたの「愛」はあなたを周りを幸せにしていますか?
もし、それが今「苦しみ」だとしたら、あるいは「不安」だとしたら、あなたの中にある「愛」がどうやら勘違いしたままかもしれません。
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どうぞあなたの中にある「愛」が無限に開いていきますように。