愛についての “思い込み” を手放したMさん

子どもの激しいかんしゃく
そして夫からの離婚要求で、湯川の3ヶ月集中コースを先月から受けられているMさん。
今日、2回目のセッションを受けられた後、感想を頂きましたので、ご紹介致します。

先ほどは、セッションありがとうございました!
今日のセッションを受けなかったら、この先もずっと「愛とは期待に応えること」だと思って死ぬまで生きていました。
他人の期待に応えようと必死になって、相手も自分も消耗する人生…。
今日で、私すごくすごく楽になりました!本当にありがとうございました!
 

 
その後、コースメンバー限定のコミュニティにも以下のように投稿してくれました。

今日湯川さんの二回目のセッションを受けた。
私は36年間大きな勘違いをして生きてきたことが判明した。
「愛=期待に応える」ことだとずっと思っていた。
 
私は父親に見捨てられないよう、期待に応えようと必死だった。
私は父親の期待に届かない自分をいつも責めていた。
 
それ以前に、そもそも私の方から親に過剰な要求をし、応えてくれないと怒って見限ってもいた(と初めて気づいた)
 
結婚してからも、夫の期待に応えようと自分のやりたいことや、言いたいことを我慢してしていた。期待に応えることが愛だと思っていたから。
 
それなのに、私の期待には全く応えてくれない夫。
最初は察してから始まり、口頭で要求しても、夫は余計意固地になるばかり。
 
夫に愛されてないと感じ、悔しく惨めな気持ちでいっぱいだった。
そして、夫とささいな口論がスイッチとなり、これまで我慢した分の怒りや悲しみが爆発して、自暴自棄になり夫を責め立てていた。
次第に夫から「もう無理だから離婚」と言われるようになった。
 
今日改めて、湯川さんから愛の本当の定義を教わった。
「愛=相手の成長を促し、自立させること。」
目から鱗だった。
 
そうか、私は父親からも夫からも愛されていたのね!!
マイナスから一気にプラスになる瞬間だった。
今まで必死でしがみついても得られなかった愛は、実はこんなに身近なものだったのね。
これからは、必死にしがみつかなければ得られない、
いや、しがみついても得られない「期待に応える=愛」から卒業し、すでに与えられていた愛を受け取り、感謝することを誓います。
 
他人に注いでた期待という名のエネルギー。
自分も相手も消耗させるだけだったが、これからは自分自身にのみ向けることで、
最大限にエネルギーを放出していきたい。
 
湯川さん、大きな気づきをありがとうございました!

Mさん、感想の掲載許可、本当にありがとうございます!!
そもそも「期待に応える」のルーツは、親に対して持ったものでしたね。「私の期待に応えてよ!」この思いがあって、自分が思うほどには応えてもらえていなかった、という「怒り」が根っこでした。
ここをよく自分で受け入れられましたね〜!!!
これから自分の周りがどんどん変化していくと思います。本当に楽しみですね!

愛の定義について

愛によって、人は幸せにもなるし
不幸のどん底にも突き落とされる。
 
その差は何かというと「愛にどんな意味付けをしているか」ってこと。
自分の持つ「愛の定義」を調べてみると、これからも幸せになるのか、不幸で居続けるのか、もうハッキリ分かってしまいますね。
「期待に応えること」が愛ならば、これからも相手に際限なく期待を求めてしまい、自分も相手の期待に応えようと無理を重ねてしまう。
それは愛じゃない。
自分を苦しめる愛ならば、それはもう手放して行きましょう!

愛の定義:湯川の場合

私は長い間、ずーっと「相手の要望をきくことが愛だ」と思って生きてきました。
つまり「私が言う事は全部叶えてくれてアタリマエ」と思っていたってことなんですね(苦笑)
だから人を好きになると、
相手の言う事を全部きかなければと思ったし、
相手が言う事を聞いてくれないと、即座に「愛されていない」とがっかりしたり、プンプン怒ったりしていたものです。
だから当時の私はとても不自由でした。
いつもイライラして、心は不安で一杯でした。
私は必死になって相手の言う事をきく。
彼に対してNoはなく全部Yesでした。
 
そんなに頑張っているから、ちょっとでも相手が私の言うことに対して、Noを言った日にゃあ
ブチ切れてました。
あり得なーい!って(苦笑)
 
「あなたは自由に選択していいのよ」と言いながら、実は口ばかりで、全く心の中はそうじゃなかった。
「私はこんなにもあなたの言う事をきいてるんだから、あなたもききなさいよ!」
言葉に出さず、ココロでそう思っていたんですね。
なんて傲慢だったんでしょ、って今なら思いますよね(苦笑)
 
でもね、そうやって思っていたのは
親に散々言う事を聞いてもらっていたからだと思うのです。だから、それが「アタリマエ」になっていたってこと。
 
それを当然のように、相手に求めていたんですね。
私にとって
「愛とは相手の言う事を100%きくこと」になっていたため、自分のような「要望の強い人」ばかりを何故か周りに引寄せました。
当時はそれがサッパリ分からなかったけど、今はよく分かります。
私の場合、愛したければ、要望の強い人が必要なのですから。
やはり「鏡」ですね。
 
そもそも自分の持つ「愛」の意味付けが間違っていたからだとは、当時の私は全く気づかなかったんですね。
その意味付けを変えてから「だからこんなに苦しかったのだ」と気づきました。
まさに目から鱗!
パラダイムシフトが起こった瞬間でもありました。
自分にとって当たり前すぎるからこそ、その言葉の意味付けを確認することは、とてもとても大事な事なのです。
湯川 央恵

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