なぜ人は「自己犠牲的な我慢」をするのか?

自分で自分を幸せにし、お互いを高め合える夫婦・恋人関係を築く!!
パートナーシップ心理学アカデミー主宰 湯川央恵です。
本当は嫌なのに、嫌とは言えず
察して欲しいと思いながら、嫌々引き受けてしまう。
そんな自分に嫌気がさしているにも関わらず、
同じような場面では、やっぱり我慢して引き受けている。
ほとほと嫌になっちゃいますよね・・・。
私もこのパターンは、散々やって来たので、
嫌になる気持ちも、ついやってしまう気持ちも、よーくわかります。
「私ばっかり損してる!」
こんな言葉がよく出ていた記憶がありますよ(苦笑
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そもそもなんで、こんな自己犠牲的に我慢をしてしまうのか?
今日はそのことについてお伝えしていきますね。
まずはわかりやすい理由から。そして後半は「え?マジすか?」という理由を。

自己犠牲的に我慢する理由

自己犠牲的に我慢をする理由、まずはコレ。

自己価値や自己評価が低く「自分なんて」と言う気持ちが常にあるため

その低く欠けた部分を、他人からの評価や賞賛によって、ようやく埋めているので、気づけばいつも自己犠牲的我慢をしてしまうんですね。
すると、いつも他人の顔色を常に伺うことに・・・。

犠牲的我慢の隠れた本音

さらにこの我慢の裏側にはこんな隠れた本音があるのです。
「これをやれば褒めてくれるはず」
「認めてもらえるはず」
「評価してくれるはず」
「わかってくれるはず」
「受け入れてくれるはず」
「理解してくれるはず」
「味方になってくれるはず」
「側にいてくれるはず」
「構ってくれるはず」
「愛してくれるはず」・・・
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こんな見返りを期待したまま、ヒモ付きの思いでやるので、
相手からすればプンプン臭うのです。
「見返り求めてます臭」です(笑)
逆の立場だと、よーくわかると思います。
褒めて欲しそうにアレコレしている人に、気持ちよく褒める事ってできますか?なーんか、嫌な感じしまません?
その臭いを出さなければ、褒めようと思ってたけど、
見返りを期待されてそれをそのままやると、なんか持って行かれたような、奪われたような、なんとも言えない気持ちになりませんか?
本音でやってくれているのと、見返りを期待したまま
ヒモ付きの思いやるのと、やっていること自体は同じなんですよ。
でも多くの場合、紐付きでやったその期待は
裏切られるのです。辛いっす〜ー!
すると、こんなにやったのになぜ!と怒りを伴い、
一層その犠牲的我慢が加速することになります。

自己価値・自己評価の低い理由

ではそもそも、なぜこんなに自己価値や自己評価が低いのか?
これは逆説的なのですが

「褒められたり評価されることが、当たり前の環境だった」から

「ん?」と思われました?(笑)
本人の自覚あり無しに関わらず、実は小さい頃
本当に褒められ評価されていたはずなのです。
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それが当たり前過ぎると、むしろ褒められなかったこと
評価されなかったことが「際立つ」わけ。
普段認められている部分は当たり前なので、
むしろそれ以上に褒められ、認められ、評価されないと
「私は褒めてもらえていない」と思うんですね。
この辺りのことは、脳の機能について書いた、この記事をぜひご一読いただくと、よく理解できると思います。

脳の特性から見る「アタリマエ」は何故認識しないのか?


ですので実は「自己評価が低い」と思っている方ほど、
その方に普通に褒めても、それは褒めに該当しません。
相当高いレベルで褒めたり認めたりしないと、カウントされないのです。
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それほど普通レベルの褒めは、当たり前のように受けて来たと言うこと。
なので相手に対して
褒めて欲しい要求度が、めっちゃ高いです!
でも本人は
「え?どこが?至って普通なんですけど?」と思っています(笑)
これはこれまで湯川が3000人の方の相談を受けて来たからこそ、わかることなんですね。
本当に親から愛され、認められ、受け入れてもらっていた方ほど、渇望感を感じています。
じゃあ自分を大事にする
具体的な方法はどうすればいいか?
長くなりました。それは明日お伝えしますね!
 
✴湯川の今日の一言
自己価値の低さは、要望の高さと反比例する
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死ぬまで変わらないってヤバくないすか?

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