海外のセラピストのあり方を知りたくて

先日、映画「君はひとりじゃない」を観に行ってきました!
レビューはいまいちだったのですが、
海外の心理セラピスト達のあり方、
社会的地位、
クライアントの関わり合い方について
自分の中で問題意識があったので行ってきたんですね。
登場人物の背景についてザックリ言うと、、、
愛する母を亡くした子どもが父を恨み、摂食障害に。
父は唯物論に凝り固まり、
悲しみ・不安などの感情に鈍感。
セラピストは息子が幼くしてなくなった事を
未だに母親に言えずにいる。
重いテーマでした。
またポーランド映画らしくトーンもどちらかというと暗め。
普段だったら、まず観ない映画だったと思います。
(ここから先はネタバレが含まれています。)
 

映画の中でのセッション

映画の中でやっていたセッション自体は、
ポジションチェンジを使ったり、感情を解放していくという手法。
特に目新しいことはありませんでしたが
降霊し、死者からのメッセージを受け取る、
いわゆるチャネリングですね、これは面白かった。
映画の中で、セラピストのアナから、
亡くなった息子からのメッセージを受け取ったことで、
生きる希望を見いだした女性のシーンがありました。
涙ながらに、アナに「ありがとう」と言っている場面です。
アナはセラピーにチャネリングという手法を使って、人々の心を癒していたんですね。
 
とても印象に残ったのは、最後のシーン。
問題を抱えたクライアントの父と娘の立ち会いのもと、
アナは母親のチャネリングを行います。
ところが、どれだけ時間をかけても降霊できず、
セラピストのアナが、
あろうことか眠りこけてしまったんですね。
結局、降霊が叶わなかったにも関わらず、
あの親子は改善のきざしが見えたんですね!
最後、朝陽を浴びて微笑みあう父と娘の姿をみて
「えー!こんなオチかいっ!」と
思わずツッコミそうになりました。(笑)
 

特別な力に依存したい

でもね冷静に考えると、
とても示唆に富んでいたなあと思うのです。
特殊な能力があると、
人はそこに依存してしまう。
 
 
もし、あの時、降霊に成功してたら、、、、
この親子が持つ本来の力を、
セラピスト自身あ阻害してしまったかもしれない。
あの親子は、あのセラピストがいないと、
やって行けなくなるかもしれない。
何かあっても、全部丸投げで、
セラピスト任せになるかもしれない。
自分たちの問題なのに、
自分たちに解決する力があることを信じず、
全部セラピストに答えを教えてもらうようになるかもしれない。
答えをもらうことは、一見いいことのように思うかもしれない。
でも長い目でみたとき、
そうとは言いきれない所があります。
 

考える力を身につけていく

 
考える力を放棄した人は、
常に他人から
答えを与えてもらうのを待ちます。
 
「教えてくれない人が悪い!」と思うんですね。
また、失敗が極端に怖くなります。
でも本当は自分で仮説を立て、
自分なりに考え、実行し、答えを導き出していくことが必要なのです。
失敗も成功も含めて、
そのプロセスを繰り返していくことが「進化・成長」なんですよね。
考える力が身に付いていないと
これからの時代、ホントに厳しくなってきます。
 

セラピストに必要な力

映画のストーリー的には
「図らずもセラピストの力を借りずに」という
オチになっていましたが、
実際のセラピーだと、
依存させるのではなく、
クライアント自身の力を発揮して、
解決に向かわせることが出来る人が、
いちばん腕のあるセラピストだと私は思っています。
 
なので、
セラピストに特別な力はいらない。
 
逆に、特別な力に依存するセラピストがいるからこそ、
それらを特別視するクライアントがいるのだと思うのです。
全てはコチラ側がどういうスタンスなのか、
それだけだと思うのです。
特別な力が欲しいと思うのは、
自らの中に強烈な欠乏感や渇きがある証拠。
特別な力よりも、
クライアントの持つ力を、如何に信じ、
引き出すことができるか、そこにかかっていると感じました。
 
そして映画のタイトル通り
「君はひとりじゃない」
 
目に見える存在も、見えない存在も、
確かにあなたを見守り
愛し続けてくれているということ。
感じても感じなくても
あなたを包む
温かいまなざしが、いつも向けられているということ。
それを自分自身が信じることだと思うのです。
証拠なんか無くても、
今自分がこうして生きているというその事実だけで、
充分それに値することだと思うんですよね。
 
 
ちなみに映画では
「うっかり眠ってしまった」アナでしたが、
あれを実は意図してやっていたなら、
かなり「デキる」セラピストだと思いました(笑)
 

日本と海外におけるセラピストの社会的地位

今回はポーランドの映画でしたが、
セラピストの社会的地位という面においては、
日本よりは高いと感じました。
映画の中では、
アナのやっていることが降霊だったり、
ちょっと特殊なセラピーなので、
周りのドクターからは冷たくされていましたけど…。
 
いずれにしても、海外では
心理セラピストやカウンセラーは、
それなりの地位を得ています。
もちろんそれは時間も費用も
難易度もあるからこその
社会的地位なんですけどね。
 
日本はまだまだ
「怪しい」
「エビデンスが無い」
「保険が効かない」など
この業界に対しての偏見もあります。
声を大にして
「今カウンセリング受けてんの!」と
言いづらい空気もあります。
社会的意義のある仕事をしているにも関わらず、
まだまだセラピストやカウンセラーの
置かれている環境があまり良くないのかも、と感じるのです。
 

セラピストたちの闇

特に日本の心理セラピストやカウンセラー達は
「孤独と戦っている」ように思います。
自分が抱えたクライアントを
全部自分が何とかしないといけない、
もっと成果を出さないといけない、
もっと集客して稼がないと、
「いいね」も沢山つけないと、、、。
こんな風に
やればやるほど苦しくなる孤独感。
そりゃイヤにもなります。
 
社会的地位も含めて、
こんな孤独感を抱えながらやっている
セラピストやカウンセラーの環境について、
私自身何とか出来ないものかと…。
今、それに向けての新しいプロジェクトを
準備中です。
孤独の淵に沈んでいるセラピストやカウンセラーに言いたい。
「あなたはひとりじゃない!」
 
今日は私自身が考えている
セラピストのありかた、孤独感
社会的地位などについて、
映画を切り口に問題提起させて頂きました。
この数ヶ月、
自分の棚卸しをやってきたことで、様々な気づきや発見が起こっています。
また自分のメソッドも体系化し、
メンバーさんや仲間達にシェアし、さらにアイデアや気づきに繋がっております。
それゆえ、つい伝えたいことが長くなってしまったこと
お許しくださいまし!
 

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