“客観視”とは
過日「成長とは自分を客観視出来る力(メタ認知)である」ということをお伝えしました。
客観視出来ない時は、視野が狭くて自分中心の見方しか出来ない状態なんですね。
すると、その結果どうなるか?
認識できる世界が狭いがゆえに、どうしても白か黒か、0か100か、好きか嫌いかという極端な二分法的な見方で世界を捉えようとしてしまいがちになります。
曖昧さに満ち溢れたこの世界
でもね〜、この世の中って、そんなクッキリ明確に区分できるような事って少ない!
どちらかというと曖昧さに満ちあふれている、と言ってもいいかもしれません。
一人の人間をとってみても、素晴らしい点や尊敬出来る部分がある反面、どうしようも無い部分があったりしますよね。
自分自身だってそうだと思います。
キッパリ「善悪」に分けるなんて、それはムリな話なんですよ。
二分法的な見方は勝手な解釈に陥りがち
しかし二分法的な見方しか出来ない時は、自分中心の視点でしか観れていないので、相手の事を「勝手な見方で解釈すること」が非常に多いのです。
例えば
「あいさつしたのに無視するってことは、私のことが嫌いなんだ」とか
「前と同じ質問をしたってことは、私の話ってどうでもいいと思っているんだ」とかね。
いやもう、そういうのホントやめましょう!
まず自分の視点からみた勝手な解釈はやめて、相手に確認しましょうね。
聞けば済む問題を、聞く事無く勝手に曲解し、恨みを募らせるって、精神衛生上よくありませんからね。
まずは言語化
まずは言葉にして相手に聞くこと。これがまず最初にやるべきことです。
その次に目指してもらいたいことがあります。
白か黒か、○か×かではなく「矛盾を受け止められる心」です。
どういうことか?
何でもハッキリ割り切れたら、そりゃ気持ちが良いでしょう。矛盾したものを心に抱えていると、人はどうも「割り切りたい!」と思いますからね。
例えば「叱らない子育てがいい」と思ったら、子供がどんなことをしても叱らないようにするのは違いますよね。
叱らないこともありましょうが、時には怒鳴りつけるくらい、叱らないといけない時だってあるワケです。
偏りは思考停止の証拠である
どちらかに偏る、というのは結局の所「思考停止」
考えずに済んでいるってこと。ラクなんですよ。
私のメンターが以前こんな言葉を教えてくれました。
「リーダーの役割は、矛盾を解消する方法をメンバーに教えるのではない。
むしろリーダーが矛盾から逃げず、その矛盾と対峙し続ける姿勢をこそ見せて行く事だ」
普段仕事をしていると、矛盾に出会う事など沢山あります。
たとえば、叱ることと受け止めること、
厳しさと優しさ、
具体と抽象、
丁寧さと効率…。
こんな相反することって沢山あります。
こうした矛盾を排除するのではなく、むしろ矛盾を矛盾であると理解した上で、それと向き合う力や両方の視点が、求められるのではないかと。
その「矛盾に対峙する力」こそが、メタ認知に続く、次の成長のステージだと湯川は思っています。
白黒はっきり付ける人や竹を割ったような性格って一見よさげですが、実は曖昧さに耐えられないだけ、なんですよね。
だからこそ白黒付けたがるわけです。
人の器の大きさ
私達が目指すべき点は、曖昧さに耐えられる胆力です。
これが人の「器の大きさ」とも言えるのです。
私もまだまだです。でも人は何歳でも成長していける存在です。これからも共に成長していきましょうね。
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湯川 央恵