同じ出来事を体験しても、なぜかお互い全然記憶が違うことってあります。特に子供の頃の記憶。全然違うことにすり替わってしまったり、都合良く忘れたりするのは、一体どうしてなのでしょう?その原因と起こりえる影響についてお伝えします。

都合良く替えられた記憶に驚く

セッションをしていて、子供の頃に「記憶のすり替え」をして来たクライアントを、これまで何度も見て来ました。
その実態が分かった時、「これほどまでに自分に都合良く書き換えているものか」と、皆さん驚かれることが、しばしばあります。
もちろん私も都合良く書き換えて来た、その一人です(汗)

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子供の視点は「今」と「自分」

記憶って見事に自分に都合良く創られます。
例えば・・・
子供がお夕飯前に、おやつが食べたいとダダをこねているとしましょう。
お母さんは「もうすぐ夕飯だから我慢しなさい、お夕飯が終わってからあげるから」と約束します。
お母さんは子供のために、少しでも早くお夕飯をつくり、食べさせます。
その後お母さんは、約束のおやつを子供にあげます。子供は嬉しそうに食べてます。

子供の善悪の判断基準と記憶のされかた

さて子供の記憶にはどのようにインプットされるのか?
「私は望んだことをしてもらえなかった!」とインプットされるのです!!!
大人からすると「え?ちゃんとお夕飯終わってからおやつあげたじゃない」と思うでしょ。
でも子供は違うのです。
「自分が望んだ時、望んだようにくれなかったから”してもらえなかった”」そう思うんですね!
望んだらその場で「即」してくれないと「してくれない」になり、同時に「親は悪い人」になるんです。どっひゃーでしょ(笑)
後でどれだけやってもらったとしても、他で沢山のことをしてくれていたとしても、自分が望んだその時に自分の望む形でないと「やってもらえなかった」と記憶をインプットするのです
そして「傷つけられた」と思うのです。
いやもうホント、どっちが傷つけてんのよ〜って感じでしょ(笑)

その記憶を今度はパートナーに向けると?

その記憶のまま大人になり、今度はその望みをパートナーに向けます。
パートナーなら自分が親に望んだことを満たしてくれそうな気がするのです。
そして期待します。この期待が超くせもの!(笑)
でもここでも同じ、自分の望んだことを、望んだようにやってくれないと、「ヒドいっつ!」「アリエナイ!」と思うのです
登場人物が違うだけで、同じことを何度も繰返してしまう訳です。そりゃ生き辛いですよ。人間不信にもなりますよ。

幸せは人から与えられるものにあらず、自分の責任でなっていくもの

自分が幸せになる記憶であるならば、残しておいた方がいいでしょう。
でも自分の幸せの足を引っ張るものであれば、サッさと手放した方がいい。相手に求めている限り、この苦しみからは解放されません。
幸せは相手からもたらされるのもではなく、自分しかもたらすことは出来ないから。
子供の頃の満たされなかった思いは、大人になってこのようにドカンと顔をのぞかせます。
それを埋めるのは、他人ではなく自分しか出来ません。
パートナーでも親でも子供でもない、自分しか埋められないからね。
埋め方は、こちらから学んで下さい!
 
 

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