親との関係性
湯川はセッションで、親との関係性、つまり自分が親に対してどんな思いを持っていたかについて、かなり詳細に見ていきます。
その理由は
親に持った思い込みこそが、今のパートナーシップをはじめ、人間関係全般に大いに影響しているから。
親とのことを見ていくと、中には「私は親から愛された覚えがほとんどない」という方もおられます。
あるいは親を恨む、までは行かなくても「下の妹や弟、兄や姉と比べると可愛がられなかった」「親が怖すぎて、素直に感謝出来るない」という方は結構多いかもしれませんね。
過去を振り返ったとき、心温まる幸せな思い出ばかりではないというのも分からないでもないのです。
ただね、
記憶というものは自分の都合の良いように、いくらでも創り変えることが出来る。
そのことをまずは知って頂きたいと思います。
だとしたら、、、、
ネガティブな思い出だと思い込んでいることが、実はそうじゃないってことだって大いにあるのです。
先日のメンバー限定のワンデーセミナーに参加されたEさんが、こんなエピソードを話してくれました。
Eさんの例ー可哀想な自分
Eさんのお父さんとお母さんは、ある工作機械の工場を経営されています。
幼かったEさんが夜中にふと目を覚ますと、お父さんもお母さんもいない。弟がお母さんを探して泣いている。
お父さんとお母さんは自分たち子ども二人を寝かして工場に出かけたみたい。
泣く弟の手を引いて、自宅からほど近い工場まで、歩いて行ったEさん。
こんな幼い子ども二人が夜中に歩いて行く。なんてツラく、そして健気な自分たちなんだろう…。
そんなことが、子どもの頃に何度も何度もあったと。
そのことを最近になってお母さんにポロリと言うと、お母さんから驚きの発言。
へ?何を言ってるの?それがあったのは、たった1回で、それからお父さんと相談して夜に機械を稼働させるのは止めたよ!
ナント!たった1回あっただけなのに「しょっちゅう」と記憶していたEさん。
さらに、夜中だと思っていたのが、まだ21時だったと・・・。
参加者全員爆笑していましたが、いやもうホント、子どもの頃の記憶ってこんなものなのです。
記憶のあいまいさー脳内リピートで「毎日」に変換!?
では何故、たった1回の出来事がEさんの中では「しょっしゅうあったこと」になっていたのか?
それは脳内で何度も何度もリピートしていたからなんですね。
実際に起こったのではなく、何度も繰り返し思い出していたことで、勝手に「しょっちゅうあったこと」に記憶が書き換えられていたってことなのです。
被害者のメリット
そうやって「可哀想な私」になることで親を間接的に責めることができたんですね。
それ以外にも「親からの褒め言葉や関心」など色々と得る物があったということなのです。
なのでEさんの場合「可哀想な私」「頑張ってるケナゲな私」というのが手放せなかったわけです。
可哀想であればあるほど、ケナゲであればあるほど、欲しい物が手に入るのですから。
でも今なら違う方法で欲しい物を得ればいいのに、今も尚同じ方法になってしまうから、しんどくなってしまうわけですね。
まとめ
とまあ、今日お伝えしたいことは「あなたの持っている記憶はあいまいだ」ということ!!
それも自分に都合良く書き換えていますからね。
なので「愛された記憶がない」という人は都合良く忘れているかもよーってこと。
そうやって親に対して持った思いが苦しい現実と関連しているなら、それは手放した方がいいですよね。