本当に被害者なのか?
あなたの周りに、いつも愚痴や文句を言っている人、いませんか?
例えばこんな言葉です。
・なぜあの人はいつも〇〇なの!
・もういい加減〇〇はやめてほしい
・毎日目が回るほど忙しい!自分ばかりが損している!
・結婚生活は夫の浮気のせいで破綻した
・そのせいで私は体を壊した
一見、これらの人達は、被害者のように見えますが、本当にそうなのでしょうか。
出来事を支える”被害者のメリット”を探すー被害者であり続ける理由
いやだと思っていても、その状態が続いているのであれば、そこには必ず「メリットがある」と見ます。
アドラー心理学の目的論で言うと、自分が体を壊したのは、夫が浮気した夫のせい(原因論)ではなく、そもそも夫が浮気することや、自分の体を壊すことになんらかのメリットがある、と考えるのです。
えー?メリット???んなワケない!!と思われましたでしょうか?
ですよね。ピンと来ないかもしれないですね。
具体的には、被害者にどんなメリットがありそうでしょうか?
例えば ・相手を批判するたび「自分は正しい」「悪いのは相手」と思える ・変わるべきは相手で、自分は変わる必要がないと思える ・自分以外に相手のことを批判する仲間と、強い結束感も持てる ・被害者になることで、相手を堂々と責める権利を持てる ・自分は責められない立場になる ・「大変だね」と言われて、本来やるべきことをしなくても許される ・カンタンに関心や注目を得られる
どうでしょう?これは一例です。
一般的にメリットと言われるものは「積極的な良いこと」というイメージですよね。
でもここで言うメリットは、その状態を支えているもの、というといいでしょうか。Aと比べるとBのほうがまだマシだ、というようなメリットですね。
これは言われないとわからないものです。
さて、これら「被害者メリット」をじっくり見てみましょう。
なんだか被害者のほうが相手よりも強いような気がしませんか?
圧倒的に庇護され、優位な立場にいるように感じないでしょうか?
これこそが被害者が被害者であり続ける理由なのです。
つまり、こんなメリットを自分が享受している限り、その状態は変わりようがありません。
自己矛盾を起こしていないか?
ところで、昔から「人は鏡」と言います。
自分と相手とは写し鏡のように同じだ、ということです。
特に、責めている相手の姿に、自分の姿が重なることが多いんですね。
いやいやとんでもない!あんなヤツと自分が同じなワケ無い!そう思うかもしれません。
でもね、これまでいろんな方の悩みを聞いて”自分のことは客観視できない”と、つくづく思うのです。
例えば
・子供に「人を叩いてはいけません!」と言いながら子供を叩く母親
・「他人の意見に口出しすべきじゃない!」と他人に口出ししている自分
・夫に「その言い方なによっ!!」と攻撃的な言い方をする妻
などなど、どれだけ自己矛盾を起こしているか、私たちはなかなか気づかないんですね。
そしてこれこそが「相手は鏡」ということなのです。
「相手ほどヒドくはない!」と思いたいかもしれないけど、実際のところは、相手とそう変わらないものなのです。
まとめ
つまり、ひどい相手から被害を受けているなら
相手を変えるのではなく、自分を変えていくことなのです。
鏡に墨のついた自分の顔が映っているなら、鏡をいくら拭いても墨は取れません。
でも相手にこそ問題がある、
だから相手だけが変わることをのぞみ、
相手の罪をあげつらい、
相手に謝らせて、行動を変えさせるというのは、鏡を拭く行為と同じ。
鏡を拭きながら
「どうして墨のついた顔が綺麗にならないんだ!」
と憤っている人をみると、なんて言いたいでしょう。
いやいや、鏡を拭くんじゃなくて、あなたの顔についた墨を取らないと変わりませんよ。と言いたくなりませんか?
相手さえ行動を改めてくれて、
相手さえいなくなってくれれば、問題が解決するのではありませんね。
夫婦関係、恋人関係、親子関係など
人間関係の問題は、
つまり相手を変えるのではなく
自分の中にある問題の「因子」が相手との関係性の中で”発芽”したのです。
そしてその因子とは、
自分の繰り返される無意識のパターンなのです。
「相手にこそ問題がある」から
「自分にも問題があるかもしれない、だから自分を変えていこう!」と決意すること。
これが被害者から卒業する「はじめの一歩」なのです。
こちらの記事も参考になさってください。
湯川央恵